平成最後の秋冬日記その③ー選択し続けるということ
先日、遅ればせながら一時期話題となったラ・ラ・ランドを見た。
以前友人が「ラストが鬱になった」と言ってたので気にはなっていたのだが、実際見てみると本当にラストが鬱だった。(ネタバレすみません。以下またネタバレ有。)
ラストには、簡単に言うと選ばなかった人生の妄想シーンが展開されていくのだが、
このシーンの破壊力がすさまじい。軽快で明るく、それでいて壮大な音楽に載せてさらっと心をえぐるようなシーンである。
最近よく思うのが、人生は選択の連続であり、常に生まれた瞬間から責任がつきまとうということである。これはこの一年間、自身の環境が激変して(しかも2回も)身に染みたことだ。後は周りの結婚ラッシュもそのように思うようになった理由の一つではある。
昔、学生団体に入っていたころ、ビジネスコンテストに出場したことがある。
それは私がもともと社会を変えようという強い志を持ってたので参加したというより、所属している学生団体が主催しており、その団体からも参加者を募集していたので、ちょうど留学から帰ってきて自分の考えを整理するうえでもいい機会だと思ってたからである。
(当時は自分の考えや経験を発表することが全く苦ではなかった。周りにもそういう人がいたし、それで批判を受けたりすることが少なかったからかもしれないが。)
そこで様々な職業観を考える機会を学校教育として設けよう、というようなことを発表した。実際に社会に出るまでは選択肢を考えて自分で決断することが重要だと思っていた。
しかし実際に社会に出て約4年が経ち、選択肢を考えることは重要だけど、選択に責任を持つことの方が重要かつ勇気がいることのように思えてきたのだ。
なぜなら人生には思いのほかたくさんの選択肢と責任があって、選択し続けることで人生が変わっていくものだから。そして決められないことで何かを浪費し続けてしまう可能性もあるから。
ラ・ラ・ランドだと、妄想シーンでは主役二人は結ばれた。しかし男性側の夢は叶わなかった。
彼は夢を叶えることを選択することで無事に夢を叶えた。しかしヒロインとは結ばれなかった。(その選択で夢を叶えただけでもハッピーエンドだとは思うが。)
あの映画のあのシーンを見て、何か思う人というのは、もしかしたら選ばなかった方の選択肢に想いを馳せてしまうタイプなのかもしれない。
しかし選ばなかった方の選択肢を選んでいても、今手に入れているものはなかったということは十分に考えられる。
ラ・ラ・ランドで二人が結ばれていても、数年後に離婚していたかもしれない。人生はどうなるかわからない。というのが現実的な見方だろう。
だけど、ラ・ラ・ランドの妄想シーンを見て、選ばなかった人生があるということの、生きる上での厳しさを再確認したような気がした。
余談ではあるがラ・ラ・ランドの曲は、定番のこの曲が一番好きかもしれない。